公益社団法人横浜中法人会
 
公益社団法人 横浜中法人会 住所:横浜市中区不老町2-11-8 税経研修センター TEL:045-662-6433 FAX:045-641-8222
HOME 法人会概要 入会のご案内 サービス 行事予定カレンダー 他会行事予定  
公告の掲載について
春川 正明 氏
総会記念講演要旨「政治とメディア報道」
読売テレビ放送報道局 解説副委員長
春川 正明
PROFILE
1961年大阪市出身。讀賣テレビ放送報道局解説副委員長。ロサンゼルス特派員、チーフプロデューサー、報道部長を経て07年より現職。関西大学社会学部非常勤講師。

テレビ会社に就職……
こんな素晴らしい仕事がある

私は読売テレビに入社し25年たちました。新聞社は専門職採用なので、記者として採用されたら基本はずっと記者ですが、テレビは一般職といって一括採用で、入社してから何をするかわかりません。

私は野球をやっていましたので、スポーツのディレクターになりたかった。当時テレビのスポーツディレクターといったら花形でしたから、新入社員研修の説明では、「きのうカケと新地に行ってさ」「この前オカとごはん食べに行ったんだけど」と始まったんですよ。カケというのは掛布選手、オカはオリックス監督になった岡田選手です。要は、スポーツのことより、スポーツディレクターになったらいかにカッコイイかという話で、私は「思っていたのとちょっと違うな」と思って、取材してきたVTRを編集する編集マンになりました。

当時、編集マンは海外取材に付いていきました。膨大な量の撮影した映像を国際衛星で送ると費用がかかったので、3〜4時間回したビデオテープを、使う所だけ10〜15分に現地で荒編集するわけです。私の転機となったのは1989年11月、ベルリンの壁の崩壊です。その時は、東側にいました。西ベルリンは歓楽街でしたが、共産主義の東ベルリンは電気一つついていない、真っ暗です。ブランデンブルグ門の前でドカーンと壁が開いて、西ベルリンから東ベルリンに何千の人がわーっと入ってきて抱き合って。政治の転換点、歴史の転換点を目の当たりにして、それを世の中の人に伝える。こんな素晴らしい仕事が世の中にある。「特派員になりたい」と思いました。「まず報道記者になって原稿の書き方、取材の仕方、インタビューの仕方、一から勉強しろ」と言われ、帰ってすぐに、当時の上司が理解のある方で記者に異動になったんです。

現場で事件を追う……
ペルーの大使館人質事件、えひめ丸衝突

ロサンゼルスの特派員になりましたが、赴任したのはロスでなくペルーのリマ。日本大使公邸にゲリラが人質をとって4か月間立てこもった事件の取材です。地元の病院が急にベッドをいっぱい調達しだしたので、そろそろ突入が決行されると言われていました。来る日も来る日も輪番勤務。私は泊まり明けで、ほっとしてたら、いきなり突撃が始まったんです。ドカーンと始まって、装甲車がドバンドバンと撃ちながら突っ込んでいった。その瞬間、顔出しのリポートを撮りました。向こう側のビルの屋上からカメラが24時間見張っていて、そこに行けば日本に生中継できる。一刻も早く行きたい。そばにあった自転車で、撃ち合いをやっている中を走りました。ビルの下まで行ったら規制線が張ってあって行かせてくれない。「ペルーでは軍隊はまず撃つ。その後に『何をしている』。警察はまず『何をしている』と聞いてから撃つ」と言われていました。自動小銃を持って規制線を守っている人の背中にポリシア(警察)と書いてあった。「これは撃てへんわ」と思ってばっと走り出した。(銃の)安全装置を外す音がガチャッと鳴って、そのとき私、35歳くらい、短かった自分の人生が走馬燈のように回りました。「ここで死ぬんや」と思ったけど、結局撃たれなかった。

人質はほとんど助かりました。思い出に残る取材でした。それから、ガラパゴス諸島でタンカーが座礁したとき、ボートでドロドロの原油に突っ込んで行ったり、他にもハリケーン、地震、誘拐など様々な事件を追ってアメリカのみならず、中南米を走り回りました。こんなに楽しい仕事はないから会社を辞めてロスに残って、プロダクションを作ろうかなとも思ったくらい。

ところが帰国前に、ハワイで、日本の水産高校実習船えひめ丸にアメリカの潜水艦グリーンビルが衝突して、生徒が亡くなる事件があり、ホノルルに行かなくてはならなくなった。グリーンビルの艦長の責任を問う査問会議がありました。日本のメディアで唯一彼にインタビューできたのが私でした。彼は部屋に入るなり、「私が言うことを日本語に訳してほしい」と言った。「事故のすべての責任は私にある。ご遺族に心から謝罪します」と、私が日本語をアルファベットで書いて、彼は練習して、初めてメディアで謝ったんです。私の唯一自慢できる特ダネです。

テレビ魂、大阪魂

私は以前、読売テレビの「ウェークアップ!」(土曜日8時から)という硬派の報道番組のチーフプロデューサーをやっていました。そのとき常に心がけていたのは大阪の視点です。東京にとっては大阪なんて地方の一つ、相手にしていないけれど、大阪の人間は、東京の暴走を止め、チェックをするのはオレらしかいないと、本気で思っている。北朝鮮の拉致問題がたいへん盛り上がっていたとき、横田さんはじめ被害者の方々は各番組に出ていましたが、私の番組には呼ばなかった。呼んだらその問題しか話ができないですから。拉致は一刻も早く解決すべき問題ですが、(北朝鮮については)核・ミサイルの問題も大事なのです。大阪の局は、そういう、「ちょっと待って、ほんとにそれでいいの?」という視点をとても大事にする。

今の政治状況もそうだと思うのです。普天間問題だけで政権がひっくり返るのは本来おかしいのではないか。民主党政権ができて大臣の就任会見を聞きました。大臣が皆、自分の言葉でしゃべっている。今までなかったことです。世の中が変わるんじゃないか。ワクワクするような高揚感がありましたね。鳩山さんは「人間のための経済」と言いました。GDPの数字でどれだけ豊かになるというのではなく、一人一人が幸福を実感できる世の中を目指すと言った。世の中変わるかもしれない、政権が変わるというのはこういうことなんだと思いました。

ところが、政権ができて8か月、閉塞感が広がっています。〈政治とカネ〉というのが嫌だから、「一回変えてみようよ」というのが大多数の意見でした。小沢一郎さんの罪は、「変わった」と思った人たちに「変わってなかったんだ」と思わせたことだと思います。

幹事長が毎週定例会見やってますね。普通、こういう会見には記者クラブ所属でないと参加できない。それは日本のメディアの問題ですが、民主党の記者会見はフリーなんです。幹事長会見では基本は国政のことばかりなのですが、3年前のこと、私はいきなり「大阪市長選に平松邦夫さんが出るのではないか」と聞きました。当時の幹事長の鳩山さん、丁寧に答えてくれるんですよ。でも、今は官房長官の平野さんに「なんで平松さんなんですか」と聞いたら、当時、大阪市の闇を暴いていた地元テレビ局の「キャスターだから」。タレント候補の擁立が話題になっていますが、「そんなので選ぶの?」と思いました。

一方、がっかりするのは自民党も同じ。民主主義の発展のため、政権交代可能な形のためには健全な野党が大事です。自民党のある政治家に、テレビの生番組で「なぜ(選挙で)負けたのかの総括は?」と聞いたら、「総括することは、健全な野党として出直すためには大事。どんなことをしても通常国会が始まるまでにします」と言い切ったのに、いつまでたってもしません。数ヶ月後にお会いした時に「どうなってるんですか」と聞いたら、「できるわけないじゃない!」。衝撃でした。政治家として、責任ある立場としてとんでもない。テレビの報道をバカにしてると思ったんです。自民党もダメだと思いました。

メディアの課題

テレビと新聞の違いを端的に表すのが、解説委員と論説委員の違いです。論説委員というのは社説を書く人です。社説を書くときは、過去の社説も見て、論説委員が議論する。ある政治評論家が「社説で政治家を非難するなら署名記事で書くべきだ」と言いましたが、社説なので、個人の意見ではない。テレビには社説がありません。論説委員もいません。放送法で「政治的に公平であること。意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と書いてある。テレビは解説するんです。普天間は何が問題になっているのか、どんな意見があるのか。

メディアの側も改めなければいけないこともあると思います。政治報道は政局報道から政策報道に変わるべきです。政局は、誰がどう言った、人事がどうなるとか、楽しいです。しかし、政策をメディアがちゃんと伝えることも重要です。政局報道は難しい、勉強せなあかん。それを承知でしなくてはいけない。報道全般で言うと、発生報道から解説報道へ。現象報道から背景報道へ。いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どのように、起きたか(5W1Hの発生報道)は大事ですが、その背景は何か、もっと解説する報道が今求められていると思います。今後は政治とメディアを考える上でも解説委員の一言一言に注目していただければ幸いです。

会員情報
会員リスト
会員専用メニュー
会員専用 会員リスト
メールアドレス登録
操作マニュアル
部会
青年部会
社会経済の動き
 

-天気予報コム- -FC2-
社団法人横浜中法人会
Copyright (c) 2004-2006 Yokohama Naka hohjinkai All rights reserved. Produce by saipri