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エッセイ

横浜とキリンビールの縁(えにし)

キリンビール(株)横浜統括支社 久保田 正治 氏


明治40年山手工場

中法ニュースをお読みの横浜の皆さんは、なんとなくいつもキリンビールを飲んでいるなぁとか、何故かキリンビールに親しみを覚えるなぁ、と感じたことはないでしょうか。古くから鶴見区の生麦にキリンビールの工場があることをご存知の方も多いでしょうから、そのことが大きく影響していることは間違いないのですが、実は横浜が「キリンビール」の発祥の地であり、明治・大正の頃にはなんとこの中区の山手に工場があったということはあまり知られていないのではないでしょうか。横浜の皆さんに親しんでいただいているルーツが意外にもこんな近くにあったのです。

中区千代崎町にその名もズバリ「キリン園公園」があり、そこに「麒麟(きりん)麦酒(びーる)開源記念碑」なる巨大な石碑が建っています。また、隣の北方小学校の敷地内には、当時、ビール工場で使われた湧き水を汲み出した跡がビール井戸として名残を留めています。このあたりが関東大震災までキリンビール横浜山手工場があった場所であり、1907年(明治40年)2月23日に「麒麟麦酒株式会社」が産声を上げた地なのです。それから数えると来年、2007年に創立100周年を迎えることになります。

この創業の地では、それより遡ること30余年も前の1870年(明治3年)、日本ビール産業の祖と言われるウィリアム・コープランドが「スプリング・バレー・ブルワリー」を開設し、当初は居留地の外国人向けにビール醸造を始め、その後、日本人向けのビールも醸造しました。コープランドは1834年にノルウェーの港町で生まれ、若い頃にドイツ人技師からビール醸造法を学び、その後アメリカに帰化し、1864年、開港6年目の横浜に上陸したのでした。

当時の横浜には、スプリング・バレー・ブルワリーの他にも、同じ山手に2ヶ所のビール醸造所があったとされますが、いずれも短命で産業としての形を成していなかったようで、日本における産業としてのビール醸造の始祖は、ウィリアム・コープランドだと言われているのです。

初期のビール醸造所が山手に集中した理由の一つとしては、醸造に適した良い水が豊富に湧いていたことが挙げられるようです。当時、ジェラール商会が山手で取水し横浜港に寄港した船に積み込んでいた飲料水が、「赤道を超えても腐らない」として有名になったことがこれを如実に物語っています。現在の元町公園にジェラールの水屋敷跡として遺構が残っており、今も僅かながら湧き水が見られるということです。

品質の良さが評判となり、横浜のみならず、東京、長崎、神戸、函館、上海、サイゴンと販路を拡大したスプリング・バレー・ブルワリーでしたが、共同経営者とのトラブルなどにより1884年(明治17年)に閉鎖となり、その再建を目論む「ジャパン・ブルワリー」が同地に設立されました。この設立には、長崎のグラバー邸で有名なトーマス・グラバーや岩崎弥之助、渋沢栄一、後藤象次郎など当時の政財界の重鎮が関わっていました。

このジャパン・ブルワリーが1888年(明治21年)に銘柄としての「キリンビール」を醸造し、やはり横浜を発祥とする「明治屋」を販売総代理店として日本全国に販売を開始したのでした。その後、1907年(明治40年)に三菱財閥や明治屋からなる日本人の手に譲渡され、名実ともに「麒麟麦酒株式会社」が発足したのでした。

麒麟麦酒株式会社が生まれるまでには、このような経緯を辿った訳ですが、山手の同じ場所で同じ水を使い綿々とビール醸造を行なったという意味では、ウィリアム・コープランドの始めたスプリング・バレー・ブルワリーが現在のキリンビールのルーツと言っても過言ではないでしょう。

日本のビール産業に大きな足跡を残したコープランドでしたが、来日後に妻を亡くし、醸造所も手放した後、日本人の勝俣ウメと再婚し中米グアテマラでの事業を試みましたが失敗、夫婦で日本に帰国直後の1902年(明治35年)2月11日、失意のうちに68歳の生涯を終えました。現在、山手の横浜外国人墓地に妻ウメとともに眠りについています。命日には、キリンビールの社員有志による墓前祭が行われており、勝俣ウメのご子孫の方にも参列していただいております。

日本人の手による経営となった麒麟麦酒株式会社は、その後紆余曲折はあったものの、今に続く品質本位を頑固なまでに守っていったことが評価され、順調に売上を伸ばしていきましたが、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災により、7,598坪の広さに達していたと言われる横浜山手工場が壊滅してしまったのでした。

その後、谷あいの工場立地では業容の拡大に対応しきれないとの判断もあり、山手から移転することになりましたが、当時の横浜市長をはじめとする横浜の皆様の熱心な支持もあり、1926年(大正15年)4月、現在の鶴見区生麦に新工場を完成させ、現在に至っています。

前述しましたように、来年は、麒麟麦酒株式会社設立から数えて100周年になりますが、コープランドのスプリング・バレー・ブルワリー設立からだと137年、商品としての「キリンビール」発売からだと119年、横浜に営業所(現横浜統括支社)を構えてからでも80年になります。この間、横浜の発展・繁栄とともに歩み、多くの横浜のお客様に支えられて記念すべき年を迎えることができるのだなぁと感慨無量です。

(広報副委員長)

 
ビール井戸   麒麟麦酒開源記念碑

   
コープランドの墓    

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