俳  優
伊吹 吾郎
【いぶき ごろう】
PROFILE

昭和21年1月2日、北海道爾志郡生まれ。国士舘大学工学部在学中に日本映画テレビ演劇学院に入る。41年、東宝第7回ニューフェイス、東宝俳優養成所に入所。
42年、東宝現代劇11期生。テレビデビュー作は「無用ノ介」。「水戸黄門」第14部より格さんこと渥美格之進役を17年間務める。
TV「必殺仕事人」、映画「戒厳令の夜」「任侠」ほかに出演。2001、2002年にはミュージカル「キス・ミー・ケイト」。「救心」のCMでもおなじみ。子息は俳優の伊吹康太郎氏。





「水戸黄門」の格さん役は17年続きましたね。苦労されたことは?
 悪のところに乗り込んでいって「出会え、出会え」になってね、光圀は「斬れ」とは言わないんです。「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい」。

なるほど。
 「静まれ、静まれ」って光圀を真ん中に助・格がバッと寄ってきて「この紋所……」になるんだけど、苦労したのは、監督それぞれカット割りが違うの。印籠出すところは改めて撮るという監督もいる。「この紋所」まで続けてやってと言う監督もいる。そうするとチャンバラやってるときに印籠を(懐に)入れとかなくちゃいけない。いんろうは移動するのよ。背中のほう行ってることもあるからね。いんろいんろあるのよ(笑)。
 印籠は房がだらっと下がってるでしょ、ただ持ったんじゃブラブラするわけ。(房を)小指で引っかけて、しかも葵の御紋を隠さないように指3本で持って、薬指で押さえて、出してるんです。


● そんなご苦労が……。
 僕がギターを弾くのを知らない人は、印籠出すために(マニキュアを)きれいに塗ってるんだと思ってる。とんでもない。見えちゃいけないわけです。フィルム(撮影)ではカメラマンが角度変えて撮ってたんだけど、ビデオ(撮影)になったら画質が鮮明じゃない?「吾郎ちゃん、ちょっと誤魔化(ごまけ)ないわ」って。艶消しのスプレーがあるのね、それを一発シューッとかけて(笑)。
 趣味はフラメンコギターなんです。それで右手はある程度爪が伸びてないと。爪が保たないからベースコート(マニキュア下地)を5回塗るんです。5回塗ると光ってますから、コレ(おねえ)に誤解される(笑)。


ギタリストになろうとは思われなかったのですか。
 あくまでも趣味。最初はクラシックギターだったんですけど、グラン・アントニオ舞踊団というのを見て、初めてコンサート・フラメンコ・ギター、ソロを聴いたんです。「うわあ、こっちが……」(笑)。
 ディナーショーとかで、踊子さん5人入れて「伊吹吾郎とクアドロ・フラメンコ」というのやってるんです。

ギター以外のご趣味は?
 ない。パチンコ、麻雀、ゴルフもやらないです。パチンコっていえば「ぱちんこ水戸黄門」のTV宣伝の声は僕なんです。今のパチンコってものすごい進化してるんですね。画面に僕らの実写が映る。アニメとうまい具合に融合してて、それが特徴をすごくつかんでるんだよね。はずれたときに(のけぞって)「うわあっ」とかね(笑)。

若いときから役者になろうと思っていましたか。
 いやいや、僕はエンジニアになろうと思ったんです。物を作ることがすごく好きだった。中学の夏休みの工作に、爺さん婆さんが東京見物に来るとき東京タワーはどんな色してるか見てきてくれと言って、平成天皇のご成婚のころだったかなぁ。東京タワーを8番線の太い針金で作りまして、町の役場に展示されたことあるんです。

● ほおー。工業高校から国士舘工学部に進まれたんですよね。
 なんで役者になったかというと、釧路の工業高校1年で、長い廊下の端のほうに玄関があって、歩いてるとギターの古賀メロディが聞こえてきたんです。職員室で国語の先生が弾いてる。「いいですねえ」「やってみるか」ってことになって、ギターを習いはじめた。その先生は演劇部の顧問でもあったんで、芝居を僕も見ていたんです。大学で東京へ出てきてから、芝居をやってみたいなあと思って、高円寺の演劇学校へ、週2回行ったんです。

大学行きながら?
 行きながら。東宝のニューフェースの試験に受かって、東宝俳優養成所に6ヶ月間毎日行って、プロとしてやっていくきっかけになったのはそういうこと。
 養成所では毎月25日に1ヶ月5千円の交通費がもらえる。3ヶ月まじめに行って、4ヶ月目から20日に行くんです。5日行ったら5千円もらえるじゃないですか(笑)。「始まって以来の劣等生」と怒られました。東宝の重役に見せる試演会があった。演出家は外部から来る。だれが劣等生か分からないわけです。「『流浪の民』をやる、誰かギター弾けるやついないかな?」。ギター弾いたら「じゃ、君が主人公ね」。(仲間内では)非常にひんしゅくを買いました(笑)。
 まず舞台をやったらと言われて、東宝現代劇に入りました。帝劇、芸術座、御園座、いろんな芝居やりましたが食えない。給料1ヶ月1万円なんです。アパートが4千いくら。僕、学校やめたこと親に言ってないですから(笑)。映画・テレビに移ろうってんで、それで1ヶ月5万円になったんです。
 少年マガジンに連載の「無用ノ介」をテレビ化するんで主人公の募集があった。行ったら、プロデューサーが「無用ノ介がどういう人物か質問する。原作者(さいとうたかを)が来るからマンガという言葉は使うな、劇画と言え」。読んだことないし、どうしよう、僕の番になってくるわけ。「僕、マンガ読んだことないんですけど」「ばかものー!」(笑)。なぜか(2次審査に)来てくれと言うんで。1人1人題材与えられて「ピストル向けた、ハイ、キミどうする?」。僕はバッと(腕を前でクロス)させた。後々ポスターの写真になりましたけど、自分なりの発想、反射神経を見るわけ。
 東映の大監督である内田吐夢が初めてテレビを手がけるという話題性が満載だったわけです。既成の役者で局は無難な線をとりたい。現場は僕を押している。プロデューサーが「内田先生に決断お願いします」と言ったら、僕になっちゃった。
 無用ノ介は片目でしょ、縦位置、奥行きがわからない。野良犬剣法なんで、明けても暮れても、屋根から飛び降りたり川へ飛び込んだり、よくぞ片目でやったもんだなあと思う。23歳でしたよ。

● スタントマンなしだったとか。
 監督が吹き替え使うの嫌いなんです。チャンバラの時に、相手が屋根の上から転んで大八車の荷台に落ちる(反動で取っ手の方が跳ね上がるときに)僕がそこへ脚を乗っけて反動で屋根へ跳ね上がるっていうカットなんです。

● はあーっ。
 跳ね上がるカット撮るのは(荷台を)何人かで「よいさっ」て押し下げてやる。反動で屋根へ跳ね上がる。1発目は失敗。脚だけ持ってかれちゃって浮いちゃう、ドーンて落ちるじゃないですか。「あ、水平になってる、いま落ちるな、背中から落ちると息できないんだよな」ってわかるのね。監督は中止するかと思ったら「うん、伊吹くん、次は何かをやろうとしている目だ、次行こう!」(笑)。
 刺した相手が「ぐわあっ」と言って、僕が刀をバッと引くというカットがあって、手持ちカメラでまず僕を追ってる。バサッと斬ったと思ったら相手にパッとカメラを持っていく。「うわあっ」とやってる間に僕は持ってる刀を捨てて(腹に刺さっているように見える)半分しかない刀を持つ。ボン、パーン、ダーン!。やってて、もう一度最初の刀を持たせる。ガバッて抜くのと合わないとばれちゃうから。役目がいっぱいいて、僕に持たせるわけ。そういうのを考える監督なんだ。だから本人がやらないと。

1本撮るのに1週間かかるわけですね。
 いや、あれは全然そんな時間で撮れない。あのころはテレビも時間かけて撮った時期なんです。特に内田先生だったから、1話1ヶ月かかったときがある。

ええーっ。
 映画並みですよね。セットも立派なの作ってましたね。
 今、Vシネ(オリジナルビデオ・DVD)を撮ってるんです。今はセットを作らない、借りるんです。金かけられないから。話によっては昭和初期とかが多いんで、その当時の建物、これを探すのが大変ですよ。昭和50年ころ、車にドアミラーなんて無いの、フェンダーミラーでしょ。持ってきた車がドアミラーで、監督怒っちゃって(笑)。


最近のご活躍は?
 8月には上沼恵美子さんの「おしゃべりクッキング」(テレビ朝日)に出ました。料理は作れない。黒沢年男さん(が出演した)のを見たらなんにもしなかったね(笑)。これだったらいいやと思って。

お酒はあまり飲まれないとか。おつまみ作ったりもなさらないんですね。
 お酒を飲まない? だれが言ったんですか(笑)。ビール党でね、ビールは食べますからね。だんだんここ(お腹)によけいなものが付いて。

最後に、格さん役は17年間続きましたが、長く続ける秘訣は?
 レギュラーは明日も会う。何年続くかわかんないんだから、お互いのプライベートは干渉しないようにしてるんです。
 あとね、毎週チャンバラやる。殺陣師が殺陣を付けるのを見ていて頭にたたき込んでいく。眠りが浅いと、頭に入りづらい。何回もテストやって本番に行けないし、NG出してね、絡んでくる人に迷惑かけちゃう。明日チャンバラって時は、酒は、飲まないことはないけどね(笑)、早く寝て睡眠十分取ろうって気になるね。


これからはどういう方向で?
 今度、時代劇オペラ、京都の歌舞練場で1月14、15日にやるんです。オペラの「ドン・ジョバンニ」を時代劇で。チャンバラもずいぶんある。歌いながらチャンバラをタッタッタッタアーアー(爆笑)。

サンマルクあざみ野店にて (平成17年8月8日取材)
インタビュアー/廣岡・金子・笠原