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五大 路子 氏
インタビュー 2019年03月
今後は「横浜夢座」の仲間とともに、夢づくりと町づくりに取り組んでいきたいですね。
女 優
五大 路子 氏  
PROFILE
五大路子(女優、横浜夢座座長)。神奈川県横浜市出身。桐朋学園演劇科に学び、早稲田小劇場を経て新国劇へ。NHK朝の連続テレビ小説「いちばん星」で主役デビュー。新国劇退団後も多数のテレビや舞台に出演して現在に至る。1977年年新国劇年間大賞、1978年北条秀司賞、1996年ひとり芝居「横浜ローザ」で横浜文化奨励賞を受賞。1999年自身が座長となり横浜夢座を旗揚げ。2001年神奈川イメージアップ大賞。2008年には横浜夢座の功績を称えられ第29回松尾芸能賞演劇優秀賞を受賞。2011年第46回長谷川伸賞受賞、2012年横浜文化賞受賞。2015年「横浜ローザ」のニューヨーク公演を行い、ニューヨークタイムスに劇評が掲載されるなど、好評を博す。同年11月、神奈川文化賞受賞。2016年、「横浜ローザ」が初演より20周年を迎え、これを記念したチャリティーコンサートを開催。2018年東久邇宮文化褒賞。今年、初演より23年目を迎える「横浜ローザ」の公演を5月に予定。趣味:神社仏閣巡り、祭り、古道めぐり、一人旅、民俗芸能

──●五大さんは横浜生まれ、横浜育ちですね。小さな頃から女優さんになりたいと思っていたのですか。

私は港北区の出身で篠原小学校に学び、中学から神奈川学園に進み、高校では演劇部に所属していましたから、お芝居に興味はありましたね。県立青少年センターで開催していた「演劇講座」にも通っていたのですが、そこでの体験が大きかったと思います。

──●女優さんを志すきっかけが、そこにあったのですか。

東京芸術大学の野口三千三先生をはじめ講師には錚々たる方々が揃っていました。思春期だった私は、生きる意味を問い、大人になることに嫌悪し、様々な葛藤を抱え学校に行くのも嫌になっていた時期でした。そんな折りに出会った先生方から「生きるとは、周囲の価値観に合わせることではなく、この世でたった一つの自分のなかにある本物の価値を探していく旅だ」ということを教わりました。そして16歳の少女は、自分を訪ね歩いて行きたいと思ったのです。自分の心と身体をすべて使って、価値を見出し創り上げていこうと思った。その思いはずっと変わっていません。

──●五大さんというと、「夢座」の座長として、そして代表作の「横浜ローザ」が思い浮かびますが、デビューはNHK朝の連続テレビ小説のヒロインでした。

もうだいぶ前の話ですが(笑)。高校を出た後は桐朋学園の演劇科に学んで、卒業後は早稲田小劇場を経て新国劇に移り島田正吾、辰巳柳太郎、緒形拳といった先輩方にご指導をいただいた当時、オーディションを受けて「いちばん星」でデビューさせていただきました。

──●その後はトントン拍子で女優の階段を登られたのですね。

NHKの朝ドラの視聴率は40%を超えていましたから、多くの方に知っていただくことにもなり、直後の2、3年は自分が自分でないような忙しさでした。その後も多くのテレビや舞台に出演させていたただきながら結婚し子どもにも恵まれましたが、白塗りの老娼婦「メリーさん」との出会いが私の女優としての生き方の大きな転機になりました。

──●それはいつくらいの、どんな出会いだったのですか。

メリーさんとは今から30年ほど前の「横浜みなと祭」で会いました。実は私、その1年ほど前から右足が突然動かなくなり闘病生活をしていました。ショックだったのは、私がいなくても代役の女優さんで成り立っていくこと。私なんていなくてもいいんだと。そこでまた「自分は何?」「何で生きるの?」という問いかけが始まり、自分が感じたことや思ったことにこだわって生きていくという、16歳のときの思いが改めて蘇っていたときだったんです。
 メリーさんの凛とした眼差しに惹かれました。直接話しはしていませんが「私が今まで生きてきたことをどう思う?答えてちょうだい」という、彼女の問いかけが、確かに私は聞こえました。

──●それが言うまでもなく「横浜ローザ」の出発点となったわけですね。

ええ、そうです。「なぜ彼女は白塗りのまま町に立ち続けたのか」、その答えを探そうと思いました。彼女の生き方を考えることで、私自身を探す旅も始まったのです。彼女の足跡を追って調べたり、色々な方に会って話を聞いたりして、故・杉山義法先生に脚本にしていただきました。先生とお話したのは、これは日本の戦後史であること。メリーさんの人生は、遠いものではなく、同じ時代に重荷を背負って生きた人々の足跡でもある。私たちの父母が戦後を傷つきながらも夢を追って生きたことも含めたメッセージにしたいということでした。初演の1996年から今年で23年目になりますが、その間も取材を続けて改稿しながら常に新しい「横浜ローザ」を演じ続けています。

──●座長を務めている「横浜夢座」は1999年に旗揚げされていますから、「横浜ローザ」のあとに生まれてきたものなのですね。

あるとき「横浜ローザ」の公演を観ていただいた方々とお話する機会があり、そこで私が16歳の頃の夢を語ったのです。それは、生まれ育ったこの横浜には、ほかにはない有形無形の宝物がたくさんある。それを掘り起こして世界に発信したいというものでした。それを聞いた方が「やりましょう!」と共感してくれた。いや、でも私にはノウハウもないし伝手もない、と戸惑っていると「その思いがあれば実現できる!」と言ってくださった。16歳の宿題を今からでもやってみたい衝動が突き上げて「では力を貸してくれますか」となり、「横浜夢座」が動き始めました。

──●その「横浜夢座」も20周年が目の前になってきました。

横浜から世界へ向けて演劇を発信する夢に向けて、多くの方が賛同くださり実行委員会をつくって手弁当で参加していただき支えてくれました。横浜に映画撮影所があったことを題材にした旗揚げ公演「横浜行進曲」から今日まで、変わらずに励ましや意見をいただき、相談に乗ってもらいながら歩んできました。落ち込んだことも、ピンチのときもありました。私一人ではとても続けてこられませんでした。仲間がいたから、仲間とともに横浜への思いを表現し続けてこられたのです。
 一人ではできないけれど、みんなで手をとり合いながら何かを生み出していくことはできる。20年近く、純粋な心でつながってきたこの奇蹟を、私たちの宝物としてこれからも、夢をつむいできたいと思います。

──●今年も「横浜ローザ」の公演が予定されていますが、長く演じられてきてその年ごとに変わっていくものはあるのですか。

「横浜ローザ」は毎回自問自答です。芝居をしているのではなく、彼女が生きていたら今をどう思うか、を問い続け、真剣に挑み続けている感じです。だから毎回変わるし、今年はまだ構想の段階ですが一人の女性の一生について、新しい時代に向けて人間の根底を描きたいと思っています。また新しい挑戦です。この舞台は多くの女優さんも観にきていただいていて、以前日本を代表する大先輩の女優さんからお手紙をいただきました。「女優は誰しも一生かけて取り組むものに出会いたい。あなたは出会うことができた。だから丁寧に丁寧に演じ続けなさい」と書いていただきました。そのことも心の奥に秘めていきたいと思っています。

──●横浜をテーマに、継続した表現活動をしている方はそういらっしゃいません。五大さんにはこれからもますますご活躍いただきたいと思い、期待しています。

これからはもっと町と関わっていきたいと思います。たとえば横浜夢座第14回公園「赤い靴の少女母かよの物語」は山下町、「横浜ローザ」は馬車道といったように、ゆかりのある町と人々一緒に発信していくような連携を図りたいですね。夢づくりとともに町づくりもしたい。それは「横浜夢座」の信念に重なってくるところですから。20周年に向けてその集大成になるものを発表したいと思います。街づくりと演劇発信の夢がひとつになって、メイドインヨコハマの文化を生み出していけたらと願っています。

ローズホテル横浜にて(2018年12月21日取材)
インタビュアー 福井・吉富

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