公益社団法人横浜中法人会
 
公益社団法人 横浜中法人会 住所:横浜市中区不老町2-11-8 税経研修センター TEL:045-662-6433 FAX:045-641-8222
HOME 法人会概要 入会のご案内 サービス 行事予定カレンダー 他会行事予定  
公告の掲載について
吉田 義人 氏
インタビュー 2018年02月
僕はラグビーを通じて人間教育を受けてきたし、素晴らしい恩師たちにも出会えた。
元ラグビー選手・日本スポーツ教育アカデミー理事長
吉田 義人 氏  
PROFILE
秋田工業高、明治大学主将共に全国優勝。19歳で日本代表入り。伊勢丹入社後、世界選抜3度選出、オールブラックス戦でのダイビングトライは史上伝説となる。 筑波大学大学院スポーツ教育修士号取得。31歳で渡仏し日本人初のプロラグビー選手として三洋電機と契約。引退後、横河電機を全勝優勝させトップリーグに 昇格。最年少部長に抜擢。明治大学ラグビー部監督就任。14年ぶりに対抗戦優勝を果たす。現在は7人制ラグビーチーム『サムライセブン』監督。日本スポーツ 教育アカデミー理事長。ラグビーワールドカップ2019神奈川横浜・特別サポーター。

──●ラグビー元日本代表、世界選抜として活躍された吉田義人さんですが、この度ラグビー半生を綴った『矜持〜すべてはラグビーのために』を出版されました。ラグビーワールドカップ2019年日本開催に向けて精力的に活動され一般社団法人日本スポーツ教育アカデミーの理事長でもある吉田義人さん。まず、設立のコンセプトをお聞かせください。

新しいスタイルの「教育型スポーツクラブ」として、今のジュニア世代を世界にチャレンジさせてあげたいという思いから、そのきっかけ作りをやっています。 地元に貢献していくため、ラグビーを指導するグラウンドを検討したところ昨秋、たまプラーザのアディダスフットサルパークとご縁があり、念願の開校を果たしました。

──●7人制ラグビー専門のチーム「サムライセブン」育成も活動の一つですね。

2016年からオリンピック種目になりましたが、7人制専門の選手が存在していなかったので、僕が(2013年に)明治大学ラグビー部の監督の任期を終えて、多くの皆さんのご協力を得て「サムライセブン」を立ち上げました。 ラグビーは1980年代から1990年代までは国立競技場を満員にしてきた歴史があります。 同じフィールドでやるサッカーは、Jリーグの発足からプロの組織になって、人気スポーツになっています。一方、ラグビーは、1990年代半ばから低迷期でした。2015年ワールドカップで南アフリカに勝って、多くの国民が注目してくれた。それは、15人制ラグビーの日本代表が強くなったからです。7人制もオリンピック競技になったからには7人制に特化した選手育成に力を注ぎ結果に繋げるべきです。

──●来年にはラグビーワールドカップが日本で開催されます。

世界三大大会と言われるスポーツ・イベントのうち、2019年にラグビーワールドカップが、2020年にオリンピックが日本にやってくるわけです。スポーツを通じてものすごい盛り上がりになるでしょう。アジアで初めての開催、しかも重要なビッグカードは全部、横浜でやるというすごいことになっている。ラグビーは世界的にはメジャースポーツ。世界中のファンが来日するので、確実に満員になります。家族で試合観戦のみならず観光も楽しみに来て、平均2週間滞在するんです。 例えばイングランドのファンが札幌ドームに来ると(9月下旬)、次のゲーム(10月初旬)までの長期滞在になる。

──●インバウンド効果がすごいですね。

もちろん、ビジネスチャンスもたくさんある。ワールドカップを見に来たら、日本中がラグビーで盛り上がっていると思ってる。そのときに我々はホスト国民として「ウエルカム」を合言葉にスタンバイしておきたいですよね。

──●準備はできているかということですね。吉田さんの今まではまさにラグビー人生でしたが、そもそもラグビーを始めたきっかけは何でしょうか?

僕は秋田県の男鹿半島で育ったんです。外で遊ぶのが大好きで、学校終わると仲間が集まってくる。夏なら海水浴。冬は裏山でスキー。野球やサッカー、相撲もやりました。冬のある日、仲間の一人が変な形のボールを持ってきて「これやろ」。ラグビースクールに入ったと言ってね。(休耕中の)田んぼでやったら、僕はもともと球技は好きだし、相撲みたいな体をぶつけるのも好きだったので、その要素が全部入っている。夢中になって日が暮れるまでやった。僕もラグビースクールに入りたいと言ったら、母親は「そろばんと習字の塾にも入るならやっていい」と(笑)。

──●身近にラグビースクールがあったのですね。

そう、男鹿半島は日本のウェールズと言われているくらい、ラグビーが根ざしている。 (名門)秋田工業高校で子どもにラグビーやらせたいから、全国から県外入学させるんです。地元から推薦で入れるのは一人か二人。

──●吉田さんはてっきり県外組だと思っていました。それから明治大学に入られて、スーパースターでしたね。就職の時はどんな思いでしたか。

19歳で日本代表に入ったので、次の目標は世界しかない。世界のラグビーは大きく二つの団体があって、我々が属しているのは7人・12人・15人制のラグビーユニオン。アマチュア規定で、プレイで報酬をもらうことはできない。もうひとつ13人制のプロリーグがあって、報酬をもらっている。ただ、プロに行ったら日本代表はできない。僕は13人制に行くポテンシャルは持っていたけど、19歳で国民の期待を担って戦ってるわけですから、日本代表として世界を相手に戦いたい。代表を続けたければ、ラグビーはあくまでも余暇を使ってやるんです。僕は仕事もしたい。ただ、世間のことなんかわからないから、宇宙飛行士になりたいのか建築屋になりたいのか(笑)、わからなかった。 大学2年の時、合宿所に先輩から突然電話がかかってきて、「とりあえず来い」。迷いながらたどり着いたのが赤坂の一軒家。きれいな着物の人が出てきて、案内された大広間にどーんと座っている人が、伊勢丹百貨店の社長でした。伊勢丹ラグビー部を強化しようと白羽の矢を立てたのが吉田義人。

──●当時は実業団チームで強豪の東芝やサントリーから引く手あまたでしたね。なにか分岐点がありましたか。

今で言うトップリーグのほとんどの企業からお話を頂きました。実業団チームというのは福利厚生の一環として発展してきたんです。それをマスコミが取り上げて、優勝したとなると翌日の新聞の一面を賑わす。企業も広告に費用をかけるよりいいので宣伝費を使ってチームを強化する。ラグビーの成績を上げてもらいたいから試合に支障を来さないような部署に配属する。僕は最前線で仕事をしたい。いろんな人に出会っていろんな事を学びたかった。伊勢丹は「仕事はしっかりやってもらいたい」と言ってくれたんです。それが伊勢丹の決め手になりました。チームは当時、ものすごく弱かったんだけど、強化したいという熱意を聞いて、この方たちとやりたいと。それに、強豪と言われるチームは、大きな古時計を動かしていくために、一つの歯車が古くなると替えてやってきた。それもやりがいはあると思ったけど、歯車の一つでなく吉田義人が経験してきたことをチームに還元して欲しいと言われ、仕事とラグビー部と、いろんな事にチャレンジする機会をもらったわけです。それに「何の仕事をしたいかまだ見出せてないんです」と悩みを打ち明けたら、「伊勢丹は百貨店だから百通りの仕事に携われる。その中で本当にやりたい事を見つけられるんじゃないか」と言われたことが、当時の私の心に突き刺さり、伊勢丹入社を決めめした。

──●その後、フランスでプロを経験され、横河電機のチームでヘッドコーチ、さらに明治大学の監督と、ラグビー漬けの日々だと思いますが、休日は?趣味とかありますか。

休日は、まず無いですね(笑)。休みの「時」はあるけど「日」ってない。休むってどうしたら良いか分からない。起きたら、目的があるから自ら取り組んでいく。

──●気晴らしに何かするということはないですか。

それは、ランニングします。その間にいろいろ考える。いい考えが出たりします。あとは料理かな。食べることが好きなので自分で作ります。スーパーも好きで食材買い込んで作ります。楽しくて夢中になれる。料理に合うお酒を晩酌するのも好きですね。

──●ラガーって、すごく呑むというイメージがありますね。

ラグビーはビールの文化なんで。(酒所の)秋田で、オヤジの血も引いてるし、皆さんと比べて強いかな。

──●秋田は日本酒おいしいですしね。お忙しいのは、明治大学監督を退任されてから始められた日本スポーツ教育アカデミーの活動ですか。

そう、1年半前に立ち上げたんです。(アカデミーは)ゴールじゃなくてスタート。僕はラグビーを通じて人間教育を受けてきたし、素晴らしい恩師たちにも出会えた。スポーツと教育は一緒だと思う。(法人名に)「ラグビー」という名をつけなかったのは、いろんなスポーツを経験させてあげたいと思っているんです。かつて筑波大学大学院で子どもたちの発達の研究をしました。(運動神経が)一番発達するゴールデンエイジは小学校高学年。その時期にいろんな運動動作をする、体操や陸上や水泳やいろんな事を学んだ方がいいと言われていて、欧米諸国ではもう既にやっています。ラグビーだったらラグビーしかやらせてもらえない環境はもったいない。

──●スポーツが子どもたちの発達を促すのですね。

Jリーグが発足して、川淵三郎チェアマンが「百年構想」の中に、「地域に根ざした総合型スポーツクラブ」って打ち出したんです。海外でも見てきた僕はこの制度をぜひ日本に取り入れるべきだと思ってる。オリンピックが終わった後、何をするか。スポーツだけでなく、地域に根ざした、行政と、企業と、住民が三位一体となってコミュニティを形成する。学校の勉強だけで学べないことを取り入れた、そういう所を作らなくてはいけない。横浜は先端でリードしてきた都市なので、それに相応しいと思っています。

──●やれることはいっぱいあると言うことですね。

いっぱいあります。横浜に縁があって住んでいる市民なので、地元には貢献したいですね。

アリソンハウスカフェにて(11月21日取材)
インタビュアー 福井・横山

会員情報
会員リスト
会員専用メニュー
会員専用 会員リスト
メールアドレス登録
操作マニュアル
部会
青年部会
社会経済の動き
 

-天気予報コム- -FC2-
社団法人横浜中法人会
Copyright (c) 2004-2006 Yokohama Naka hohjinkai All rights reserved. Produce by saipri