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ケーシー高峰 氏
インタビュー 2016年01月
「ベン・ケーシー」がブームだったでしょ、それからヒントを得て、親も喜ばせてやろうと白衣着て漫談やったんです。
俳優・漫談家
ケーシー高峰 氏  
PROFILE
昭和9年生まれ。山形県・新庄北高等学校卒業後、日本大学医学部に入学、途中から芸術学部に転部。卒業後、漫才のリーガル天才・秀才のもとで漫才を修行。ジャズ歌手の地方公演の司会などをする。1967年から「エプロン寄席」(テレビ朝日)、69年から「おいろけ寄席」(テレビ東京)のレギュラー司会を担当。70年には役者として「冠婚葬祭入門」で映画初出演。77年にはNHK銀河テレビ小説「オリンポスの果実」でテレビドラマデビューを果たした。以後、渋いバイプレーヤーとして大河ドラマや朝の連続テレビ小説、映画に出演するなど幅広く活動している。

──今日はお手柔らかにお願いします。誌面に載せられるようなお話を伺えればと……。

NHKのプロデューサーみたいだね。「師匠、生放送ですから」って。

──生放送ではないんですけど。ところで、お呼びするときは「ケーシーさん」「高峰さん」どちらがよろしいですか。

「ケーシー」で。みんなから軽視されていますから(笑)。

──僕がケーシーさんを初めて知ったのは、日曜お昼にやっていた「大正テレビ寄席」で、子どもの頃に親父と一緒に見てました。昭和53年まで放送されていましたっけ。

懐かしいねえ。月に2〜3回出てたことあったな。公開収録は渋谷の東急文化会館の会場で。

──今のヒカリエですね。最初から漫談のスタイルだったのですか。

僕は司会歴が長かったんです。坂本スミ子とか、アイ・ジョージとか、ラテン(歌謡の)司会をやって、ラテンブームが去ってからは西田佐知子、平尾昌晃。その後、当時のテレビ番組「ベン・ケーシー」(医師を主人公にした米国ドラマ)がブームだったでしょ、それからヒントを得て、親も喜ばせてやろうと白衣着て漫談やったんです。「グラッチェ」が爆発的に売れて。

──ご実家はお医者様の家系で、ケーシーさんはもともとお医者さん志望だったのですよね。

日本大学医学部に行ってましたから。でも、2年目からは「芸術学部演劇学科」で(実家の)山形に学費の請求が行った。そうしたら怒って、「医者の家から河原乞食が出るなんてみっともない。帰って来るな」って言われて。本当に約10年間行かなかったです。当時は医者って、ステータスが上だと思ってたんだね。

──親御さんに言わないで転部されたのですね。

勝手にかわったのが、請求書行ってバレちゃった。学費もストップしたから、もうアルバイト、アルバイト。舞台照明やって、日劇ミュージックホールでヌードばっかり見られるから楽しくて(笑)。EHエリックさんとか出てて、舞台の勉強になったしね。それから司会やって。

──その後、漫談へ。

最初は漫才。「リーガル天才・秀才」に入門したらまだ弟子が持てないからって言われて、「大空ヒット・三空ますみ」に弟子入りして、「大空晴天・曇天」。2回目のコンビが「大空はるか・かなた」。「はるか」のほうだった。今の「海原はるか・かなた」からは、「師匠、名前もらいました」と言われる。いろんなことやったからプラスになってましたね。

──あの、黒板を使って白衣で漫談をするスタイルは、「ベン・ケーシー」から思いつかれたそうですね。

そう、師匠の所に行って名前は「べん高峰」って言ったら「汚いな」(笑)。で、「ケーシー高峰」にしたの。リーガル一家はみんな高峰を名乗るんです。医学用語を取り入れたのは他になかったから売れたんだね。(ネタは)自分で考える。テレビに出るようになってから作家もついたけど、婦人科ネタは僕でなきゃわかんないからね。らっぱ管(卵巣と子宮を結ぶ卵管)が細い人は分娩に困る。それをクスコって機械で広げる、これを奥の細道という(笑)。最初にやったのは芭蕉(笑)。

──ケーシーさんの婦人科ネタは女性に受けてますね。

そうね。壇蜜とか僕を好きでね、「ねえ、師匠、なんかネタ教えてよ」。「あんたと寝たって言いたいよ」(笑)。彼女は頭いいですしね。週刊誌に裸載せれば、男子中高生が喜んで×××××。僕なんか母親が婦人科医だったからやり方を教えてくれて。×××××を、こう×××××して。

──あー、それ、「中法ニュース」で活字にできませんね、伏せ字です(笑)。お母様は山間部のお医者様で地域医療に貢献されたのですね。

読売新聞医療功労賞の第1回を受賞しました。長生きで100歳近かった。「なんで100歳近くまで長生きなんだ」「新鮮な白菜食べてたから」。そういうしゃれっ気のある母だった。僕はその血を引いてるね。ただねえ、顔は父親似じゃないんだ。隣のご主人の顔だ(笑)。

──お父様は商社マンでいらした。

東京外語大学出て、三井物産に入って、マニラにいたの。4年ごとに神戸に帰ってきて、そうすると母親は山形から行って、うちの兄弟はみんな4つ違い(笑)。

──やっぱりお父様の実の子ですね(笑)。

父は婿だったので、神戸支店長になったときに、母が「日本に帰って来ても離ればなれじゃ。離婚しよう」って言ったら会社辞めて山形に帰ってきました。山形大政翼賛会のボスになっちゃった。終戦後、僕が学校から帰ってきたら畳の上に緋もうせんが敷いてある。進駐軍のジープが来ていて、家の中で親父としゃべってるんだ。英語が得意だったから。親父、凄いなと思った。

──靴のまま上がれるようにカーペット敷いたのですね。

そう。うちはクレゾールのにおいだらけだったけど。当時は一人患者さん見るとクレゾールで消毒、家の中がクレゾール臭かった。正月にはお手伝いさんもみんな実家に帰っちゃうから母が台所をやらざるを得なくて、味噌汁からお米からみんなクレゾール臭い。体に染みついていて、父も嫌がってた。でも夜は大丈夫(笑)。とにかく面白い夫婦だった。うちの兄弟は姉が歯医者、兄が海軍の外科医。他の兄も医者。医者だらけ。

──ご自身は10年前にご病気されて、それでもひと言もしゃべらないで舞台を務められたとか。

舌癌になって、しゃべれなかった。最初はご飯食べた時おかしいなあと思って、白板症って舌に白い斑点ができる。姉の子どもが歯医者だから見てもらいに行ったら「叔父さん、だめだほっといちゃ」って。舌に2カ所できてて。東京医科歯科大の病院に、カミさんに泊まる用意してもらって行ったら、翌日もうオペ。

──その手術の時には、既にあとの舞台の予定が入っていたのですね。

興業ですから、もう(お客さんから)お金取ってますからね。マスクを掛けたまま30分。「おぼん・こぼん」に助けられて、黒板使って。彼ら、とんちんかんなことを言うから、よけい面白かった。そのときは8キロくらい痩せてたな。流動食で、食べられないから。

──病気を乗り越えられて、お元気ですね。今年おいくつですか。

82歳。いや、お元気じゃない。もう、足腰がダメ。どっか行くというと車でお迎えでしょ、歩かないから。

──医学的見地の健康法は?

ない、ない。暴飲暴食。タバコも止めろって言われたけど吸ってる、ピースね。みんな平和になるように( 笑)。でも、おならが出るんだ。へーわ出るって(笑)。酒は飲めなくなった。ビールならコップ1杯でアウト。前は(出身が)山形ですからね、一升酒飲んでた。いまは宴会はほとんど出ないです。それが健康法なのかな。夜はほとんどご飯食べない。こんなに太ってるから、その方がいいね。ゴルフもできない。脊柱管狭窄症やってるから。

──ゴルフも以前はだいぶやられたのでは?

いやあ、女だけ(笑)。でも今はすっかりダメ。

──では、今はご趣味は。

散歩ですね。さんぽから帰ってくると○○ポになってる(笑)。(呑まないからって)べつに早寝早起きじゃあない。寝るのは12時過ぎだね。WOWOW見てるから。映画やドラマがたくさんあるでしょ、あと格闘技が好きで好きで。UFC(究極の格闘技)すごいよね。

──ああ、すごいですね。今は福島にお住まいなのですね。

いわきです。(震災の)3月11日は、紀伊國屋ホールの仕事を終わって、帰るとき電話がかかってきて、お肉を金があるだけ買ってこいって。小雪が舞っていて、着るものもないしね。公民館で炊き出しやった。うちのカミさんもよくやってくれました。いま魚も野菜もOKなんだけど(原発の)風評被害でね。僕はいわきにはもう29年目。いいところです。さんまなんかおいしくて。女の子もいきのいいのがいます(笑)。

──横浜には時々いらして頂いていて、横浜にぎわい座では、芸能生活60周年記念スペシャル企画を一昨年6月になさいまいしたね。

そう、早いねえ、もう60年。昨年も三遊亭圓歌師匠とね。まもなく聞けなくなる(笑)。

──いえいえ(笑)。館長は桂歌丸師匠ですね。

うん、そっちのが早く逝くかもしれないね(笑)。

──これからやってみたいことはありますか。

福祉のほうをね。いま、老人ホームを見て回ってるんです。社団法人か財団法人で、施設をやってみようかなと考えている。親族に医者がいるから、呼び込んできて。見ていると、(入所者は)人生の先輩なんだけどね、かわいそう。夜中に暴れるおじいちゃんおばあちゃんもいるし、捕縛ってベッドに結んでおくのも薬で眠らせるのも今はダメだから、介護士は辛い。介護士もやってられないんでしょうけど。お給料も安い。でも、(仕事が)良くできたらお給料も上がるんですよ。

──なるほど。ケーシーさんの大きな夢ですね。今日はありがとうございました。

関内ホール楽屋にて(11月13日取材)
インタビュアー 植草・本山・中野

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