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立川 志らく
インタビュー 2014年1月
「今度入った弟子はすごいよ」って、前座のくせに天下の立川談志に2つも「イヤです」と逆らったので。
落語家
立川 志らく 師匠
PROFILE
1963年8月16日生まれ。
東京都出身。
1985年10月 立川談志に入門。
1988年 二つ目昇進。
1995年 真打昇進。現在弟子15人をかかえる大所帯。
落語家、映画監督(日本映画監督協会所属)、映画評論家、エッセイスト、昭和歌謡曲博士、劇団主宰と幅広く活動している。
渋谷伝承ホールの「志らくのピン」、横浜にぎわい座の「続・志らく百席」の定期独演会をはじめ、仙台、盛岡、富山、京都、福岡、鹿児島ほか全国で独演会を開催。著書多数、新刊に「銀座噺・志らく百点」。
officeダニーローズ
http://www.shiraku.net/

──そもそも落語家になろうと思われたのは?

父親がクラシックギターのギタリストで、映画や落語に精通してた影響で、小学生くらいから面白いなあと思って。映画もよく見ていて、将来の夢は監督か役者。日本大学の芸術学部演劇学科に入って舞台美術をやってたんですけど、たまたま行ったのが先代の金原亭馬生師匠の最後の高座。ご病気だとは知らずに、すごく格好よくて、弟子になろうと決めちゃったんです。10日後に亡くなった。お弔いに出かけて、池袋演芸場にふらりと入ったら、立川談志が馬生師匠の思い出話をやって、「落語やれえっ」て野次が飛んだら、「今日は落語やる気分じゃない、金返すから帰っていいよ」って、その姿がまたカッコイイ。で、この人の弟子になるのがいいなと。でも、(談志は)おっかないというイメージがあるし、この直後に落語協会を脱退して立川流をこしらえて、(協会に属していないので)寄席に出なくなった。わたしは寄席芸人に憧れていたので、躊躇してたんです。
 大学では落語研究会に入っていて、夏合宿に来たOBの高田文夫先生(放送作家)が、ひっくり返って笑ってくれた。高田先生は立川談志の弟子になっていたので、連れてってくれて、「才能あるから弟子にとってやってください」で、すっと談志の弟子に入ってしまった。

──めぐり合わせというのでしょうか。

弟子が5、6人、身の回りにいたんだけど、「今時の若い奴はなんにもわかんない」ってイライラして、築地の魚河岸に人間修行に行かせちゃった。洗濯から何から師匠が自分でやらなくてはならなくなって、そこに私がふっと入った。師匠とマンツーマン。洗濯機のかけ方から服のたたみ方から教わりました。

──それまで御自宅にいらして家事はまったく?

なんにもやったことがない。で、師匠が「オレがくたびれるから、おまえも築地に行ってこい」って言い出した。「イヤです」「じゃ破門だ」「それもイヤです」「両方イヤか、しょうがないから、いろ」。師匠はよそで「みんな築地に行っちゃって帰ってこない。あっちの方がいいってことなんだ」と言っていて、「今度入った弟子はすごいよ」って、前座のくせに天下の立川談志に2つも「イヤです」と逆らったので。それ以降はものすごく可愛がってもらいました。

──そういう(前座)生活は何年くらい?

 わたしは2年半。立川流は基準があって、落語50席覚えて、小唄、踊り、太鼓とかができれば年数に関係なく二ツ目になります。落語協会だと5年くらいですか。立川志の輔兄さんは2年で、立川キウイは16年(笑)。

──実力主義なんですね。噺もマンツーマンで教えてくれるのですか。

ほとんど教えてくれないですね。落語は教わったらその通りにやらなくてはいけないという不文律があるんです。慣れてくると「入れごと」といってギャグを変えたりする。変なやり方してると、高座降りてくると怒られることもある。談志は「落語っていうのは自分で作るんだ」って。立川流だからのびのびとできた。

──立川流は寄席に出られませんでしたが、どんな形で世に出て行かれたのですか。

 出番を自分で作っていかなくてはならない。落語会を自分でやっても知名度がないからお客が来ない。来るように、いろんな人に手紙を書いたり。3年目くらいで、談志がテレビでレギュラーをやって、わたしと談春兄さんがおハガキコーナーをやれと言われた。Tシャツ姿でハガキを読んでギャグ言ったり。わずか3年でテレビでレギュラー。テレビだから一気に浸透する。1年くらいたったころ落語家を使った深夜番組が始まって、毎週クイズ形式の大喜利やコントをやった。夜中の3時半なのにヒットして、わたしと談春兄さんは「立川ボーイズ」と名乗ってたんですが、街を歩くと声をかけられ、落語会をやると女の子が何百人とプレゼントを持ってくるようになった。国立演芸場が十代の女の子でいっぱい。

──アイドルですねえ。

(バレンタインの)チョコレートもトラック1台分、みたいに一気になった。それから高田文夫先生が「関東高田組」を作って、立川ボーイズも入って、全国展開。漫才・コントです。落語家だかなんだかわかんない。いろんな番組でレポーターとかもやってました。

──時期もちょうどバブル時代。20代後半ですね。

ええ、真打ちになる前でした。たまたまコントやってくれと言われたらウケただけで。落語家なのに、だんだんイヤになってきて、人気者にはなったけど立川ボーイズやめちゃったんです。ほんとに間がいいことに、テレビで談志がいいと思った芸人だけを出す番組をやることになって、志の輔、春風亭昇太、志らくが入った。客は談志信者だから(耳が肥えていて)笑わないです。テレビカメラが回って、楽屋では談志が聞いている。どうすりゃいいんだ。今までやってきたコントの発想で落語をやったら、談志が「志らくがいちばんいい」と言いだして、いなくなった女の子のファンの代わりに落語ファンが一気に来るようになった。それで真打ちになっていったんです。

──すばらしい流れですねえ。

チャンスが来たときにうまくパッパッとつかんでるということです。10年で真打ち昇進。(昇進試験は)公開にしようということになって国立演芸場で「真打ちトライアル」と銘打って、客を入れて、落語、唄、踊り、講談をやって、客席にいる談志を舞台に上げて「どうですか」とやった。

──つまりチャンスは確実にものにされていた。

でも、いいことがトントン拍子で来て、調子に乗りすぎ。師匠も私も映画が好きで「映画を作ってみないか」という話が来て、師匠に相談したら「金がないなら奉加帳こしらえてやるからオレの知り合いを回って片っ端から1万円ずつもらえ」。なんの面識もない五木ひろしさんの楽屋まで行きました(笑)。200万円くらい集めて作った映画を見て、まず、高田先生が怒り、談志が愕然とし(笑)。山藤章二先生なんか「こんなものを見る時間はオレにはない」(笑)。順風満帆だったのが、映画一本作っただけで、私を支援してくださった全員をしくじりました。

──でも、もともと映画はお好きだったのですよね。

好きだけど、映画の撮り方がわかってないわけです。頭の中では小津安二郎の世界にサスペンスが起きたみたいな(笑)。汚い画像で自分よがりのギャグ。お客には伝わらない。芸人で(映画で)成功しているのはビートたけしさんくらいのもので。悔しいからそれから5本作りました。全部、ダメでした。やっと気がついたのが、才能に頼っていてはいけない、勉強しなくてはいけない。演出の勉強を演劇でしようと、劇団を旗揚げするんです。そのうち面白くなってきて、5作目の向田邦子の「あ・うん」を上演したら絶賛だったんです。山田洋次監督も「1年間で一番面白かった」って言ってくれたり、談志が「オレが教えたもんがほとんど入っている」って。それでてんぐになるわけ。演劇をバンバンやって、落語がおざなりになっていくわけです。

──ああ、そうなってしまいますねえ。

(世間は)落語ブームが来たけど、わたしは演劇のほうが面白い。落語は若い頃のなぞり。談志が「志らくは落語をなめてる」と言うし、高田文夫先生にも深夜呼び出されて5時間くらい小言を食らった。はたと気づいて、映画と演劇を全部落語に返そう。今まで役者に演出をつけていたのを自分につけて落語を作るようになった。そうしたらお客さんが帰ってきた。談志の代表作「らくだ」をやったら「オレがやりたいことはみんなおまえがやっているから安心だ」って言葉をもらったんです。その2年後に談志は亡くなって、最後に恩返しはできたと思う。
 コントも落語も全部ウケて、「志らくさんすごいね」とか「天才」とか褒められて、「なんだってできる、映画くらいわけない」と思っちゃって。でも、映画は総合芸術だから。勉強して、みんなで作り上げていくもんです。音響は音響のプロ、照明は照明の人、シビアにやらなくてはいけないと学びました。映画が当たってたら「カンヌ行くんだ」みたいになって落語やらなくなったと思うんです。ぼろくそだったのが今考えるとよかった。人生、良いばっかりじゃあ。嵐山光三郎先生に「人生はプラスマイナスだから、いいことばっかりあるとドンと落ちるよ。どこかで負け試合をこしらえておかないと」と言われました。負け試合を作りながらやっていきたいですね。

──いいお話をありがとうございました。

関内ホール楽屋にて(11月15日取材)
インタビュアー 植草・玉川

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