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桂 春團治 師匠
インタビュー 2007年1月
木戸銭払ってきてくれたのにいい加減なのやれないしね。自分自身が納得できない。
落語家 桂 春團治 師匠
PROFILE
昭和22年 桂 小春として博多で初舞台。昭和25年 二代目 桂 福團治を襲名。昭和34年 三代目 桂 春團治を襲名。昭和46年 大阪府民劇場奨励賞受賞。昭和50年 芸術祭優秀賞受賞。昭和53年 讀賣テレビ第7回上方お笑い大賞受賞・上方落語協会会長就任。昭和55年 芸団協功労賞受賞。昭和56年 関西演芸協会会長就任・大阪名誉市民表彰。昭和59年 上方落語協会相談役就任。平成2年 桂 春團治還暦一門会を開催。平成8年 芸能生活50周年記念パーティー開催(大阪都ホテル)・芸能生活50周年記念「春團治まつり」(道頓堀中座)開催・大阪芸術賞受賞・文化庁長官賞受賞。平成10年 紫綬褒章授章・春團治三代の碑建立(池田市受楽寺)。平成14年 讀賣テレビ第31回上方お笑い大賞特別功労賞受賞・二代目春團治50回忌追善興行(大阪松竹座)。平成16年 旭日小綬章受章。平成17年 初主演映画「そうかもしれない」撮影。平成18年 芸能生活60年「極付十番落語会」。現在、上方落語協会相談役、関西演芸協会相談役として活躍中。

──本日はよろしくお願いします。

よろしうお願いします。

──初めて落語を演じたのはサラリーマン時代だったとか。

そう、僕は浪華商業高等学校出てから1年間サラリーマンでした。気が短いんで、上役と喧嘩して1年間で会社辞めてしもたんでね(笑)。親父(二代目桂春團治)も僕を噺家にするつもりはなかったし、僕もそういう気は全然なかった。その時分は(戦後で)寄席がないんで、一座を組んで地方へ巡業していたんです。「しゃあないから、荷物持ちで付いてきたらどうや」と言うんで。劇場について荷物下ろしたら、客席でじーっと皆さんの芸を聞かせてもろてたんで、ずうっと回っている間に噺を覚えてしもたんです。博多で前座さんが倒れましてね、親父が困ってたから「僕出よか、皆聞き覚えで覚えてるよ」言うてね。聞いてもらって「それなら前座はなんとかやれるやろ」。そんなんで九州の博多が僕の初舞台ですよ。

初舞台って案外よう受けるんですね。だんだん慣れてきたら受けんようになりますけどね(笑)。ところが修行してないから、終わったらしびれが切れて立てないんです(笑)。大阪に帰ってから改めて弟子入りしたわけです。博多では、春團治の息子だというので急遽、小春という名前を付けて出たんです。

──自分から望んで落語家になられたわけですね。

ええ、よう受けたしね。これで銭儲けになるんやったらええなあ思て(笑)。

──小さいときからお父様の話を聞いて覚えてらした?

いや、僕は小さいときから寄席へも行ったことがないし、落語も聞いたことがないんです。終戦後ですからね、寄席は皆焼けてしもて無いんで、一座を組んで地方回りをしたんですね。今と違ってテレビもそんなに発達してないし、巡業中も奇術とか漫才が多かった。落語いうたら親父と前座に誰か若い子が出るくらい。

──落語の世界に入るまでは、どんな仕事をしたいと思ってられましたか。

いや、何も考えてないですよ(笑)。家の近くにあった会社に勤めたというだけで。たまたま巡業中に出たから噺家になっただけで、(高座を)見てなかったらどうなったかわからないですね。工場で働いてるか、社長になってるか(笑)。

──映画「世にも面白い男の一生 桂春団治」で紹介された初代の破天荒なイメージが強いのですけれど、同じ春團治としてどうですか。

初代、二代目、わたし、みな芸風が違いますね。どっちか言うたら僕はまだまともにやっているほう(笑)。私生活はまともやおまへんで、無茶苦茶してまっから。芸は、自分がこうと思たら人から何言われてもウンと言わないほう。自分のテレビも見たことがないです。自分の芸を知らないから、偉そうに出られるんです(笑)。

──ネタを広げられない主義ですね。

僕は、練って練って練り上げていないと次に行かないんです。木戸銭払って来てくれたのにいい加減なのやれないしね。自分自身が納得できない。

今度、初めて映画(「そうかもしれない」)に出してもろたときも、ほんとに難しかったですね。「そのまんまやってくれたらええんや」と監督が言うてくれたのでわりに楽でしたけど、落語やってるほうがよろし。気イ使わんでよろし、一人やから。ウケりゃ自分が良いんだし、ウケなけりゃ自分が悪いんだからね。

──今日も(大阪へは)トンボ帰りだそうで、翌朝からお仕事かと思いました。

いや、そんな忙しいことない(笑)。泊まるの嫌いなんで。なるべく帰れたら帰らしてもらう。床が変わるとよう寝ないんで。

──昔はお酒を呑んで家に帰らなかったらしいですね。

月2日しか家に帰らないです。家内が女性のとこに「今日はそっちで世話になります」って電話してくれるくらいですから。今年で結婚して52年。家内にもう苦労ばっかりかけて。この間の映画(出演)で賢うなった、(認知症と癌の)老夫婦の話やから。いずれ僕らもこの道に行かないかん。女房大事にせなあかん。今から、女房と2人仲良く暮らすのが目標ですね。この間の映画からそうなっとる(笑)。

──今まではかなり呑んでらした?

だいたい晩酌5合くらい……。女房と一緒に飲んだら一升呑む。女房も一升酒やから、2人で毎晩二升空くんです。ほとんど365日。(呑んだ後)また(呑みに)出てくんですよね。

──それはすごい!晩酌という量ではない(笑)。

今はあきまへんね、ドクターストップで。だいぶ(肝臓)痛めましたけどね。このごろは自分で自重するようになりました。医者が嫌だからピシャッと止めるようになった。それで医者に行きますと「すぐまた来るな」と言われて。

4、5年くらい前、うちの家内に「どうした?」言われてね、「体がしんどいねん」。それは二日酔いだったらしいですね(笑)。それまで二日酔いを知らない。今76歳やから、70歳くらいのことですかね。

僕は日本酒ばっかり。パーティ出て日本酒なかったらビール(ちょこっと)で乾杯だけして、すっと帰ります(笑)。先代がそうでした。酒好きやしね、家で注文する酒は「大関」しか買わなかった。「大関」から紋付き貰うてましたんで。僕も襲名したとき、新しく作ってもろたんでね。

──大関に貢献度高いですね(笑)。税金も(笑)。成人男性が摂らなきゃいけない水の半分くらいをアルコールで摂っているのでは?

そうですかあ。そんだけ呑んで遊んでても、朝は7時にはピシャッと起きますよ。修行で、師匠が帰るまで待って、師匠よりも先に起きてせなあかん。親子でもそういう修行をしてきましたからね、3時間くらいしか寝ないことありますよね。それが慣れてしもたんか。はよ行かなならんときは、目覚ましかけると目覚ましより先に起きますからね。

──今はお酒をやめてて楽しみというのは。

なんにもない(笑)。タバコは20何年前に止めましたし、この年やから女性のほうもあかんし(笑)。ただただ家で、たまになんか甘い物ちょっとつまんだり。有り難いことに、タバコ止めて甘い物食べても僕は肥えないんですよ。家でぼけーっとしてるか、テレビ見てるか。休みの時、若い孫弟子の稽古を見るくらい。

──お弟子さんは何人ほど?「桂春團治」の名前の跡取りは?

直系は10人ほど。孫弟子から全部入れたら20人くらい。名前欲しさにもめたら困るから、弟子に言うてますねん「心配するな、皆を見送ってからオレ死ぬから」(笑)。

──そのくらいの気持ちにならないとダメですね。恐れ入ります。

いやあ、言うてるだけで、明日コロッと逝くかも。

──ご幼少の頃はどんなお子さんでしたか。

釣りは好きで行ってましたけどね。スポーツはなんでもやります、体動かすことは好きなんです。毎日ジョギングやって、膝に悪いからというので競歩にしてますけど。野球やりだしたのは、浪華商業高等学校入ってから。(高校野球全国大会を)戦時中止めてて再開したときに、浪商は甲子園に行って優勝しているんです。その時ちょうど野球部におったんです。

──甲子園に行かれたのですね。

行ってるけどマリ拾うだけや(笑)。(入部の)試験があるから「春團治の息子か、ほんなら入れとけ」って(笑)。浪華商業時分にレギュラーになれなんだから、今、自分でチーム持ってまんねんな。

──落語家さんの?

協会でもチームがありましたし、僕の一門でチームを持っているんです。「春團治ヘアーズ」言うて。「かつら」だから。

──ああ、なるほど(笑)。対戦相手は。

普通の会社もあるし、いろいろな所。弟子がラジオに出たら言うから、申し込んで来たりしはるんで。

──実力のほどは?

恥かかしなや(笑)。塁に出ても笑わすことばかり考えて。監督がちょっとうかつに顔さわったりすると「師匠、サインと違いますか?」「ここ、かゆかったんや」(笑)。僕はいつもレフト。脚速いんですよ。今は無理ですけど、塁出たら必ず盗塁します。いっぺんうちの会社の従業員のチームとやって、ファーストに出て、だーっとセカンド盗塁したんです。アウトなんで「おかしいな?」と思ったら、セカンドのヤツが笑ろうてる。「何おかしいねん?」「師匠、塁出たら走る思て、ベースこっちにやっといた」悪いヤツ(笑)。

──応援してるのは阪神ですか。

それ言われると辛いんですわ。大阪の人はみんな阪神、阪神、言うてるけど、僕は南海。今のソフトバンク。南海時代は、舞台済んだらばーっと大阪球場に飛んでいったくらい。

──この記事は大阪の人は読みませんから大丈夫です(笑)。(これから始まる)客席より先に笑わせていただきました。

いやあ、とんでもない。女と酒のこっちゃなんぼでもしゃべる。しょうもない話ばっかりでお役に立たなんですんません。

──ありがとうございました。今日は客席満杯です。

関内ホール楽屋にて(11月10日取材)
インタビュアー 廣岡・岡村・斉藤
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